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『スパイダーマン』日本公開20周年 サム・ライミ版は何がすごかったのか

祝20周年! 2002年に公開されたサム・ライミ版『スパイダーマン』- Columbia Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

 『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の大ヒットで再注目されているのが、トム・ホランド以前のスパイダーマンたちです。2022年5月11日は、トビー・マグワイア主演、サム・ライミ監督版『スパイダーマン』の日本公開(2002年5月11日)からちょうど20年。筆者もトビー版スパイダーマンとの再会を喜びながら、20年前に『スパイダーマン』が封切られた当時の様子を思い出していました。(文:杉山すぴ豊)

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■アメコミ映画ブームの原点

親愛なる隣人、スパイダーマン - Columbia Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

 今日のアメコミ映画ブーム、マーベル映画ブームはある意味、2002年の『スパイダーマン』から始まったといっても過言ではないでしょう。そもそもハリウッドがマーベルに注目するきっかけは、『ブレイド』(1999年日本公開)のスマッシュヒット、『X-メン』(2000年、1作目のみ“メン”表記)の大ヒット、そして『スパイダーマン』の歴史的大ヒットにあります。特に『スパイダーマン』は史上初めて公開3日間で興行収入が1億ドルを突破する偉業を成し遂げました。

 また、それまで『スター・ウォーズ』映画が年間1位の大ヒット作となるという連勝記録が続いていたのに、2002年の全米最高興収ランキングは『スパイダーマン』が1位、『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』が2位でした。ちなみに同年3位は『ハリー・ポッターと秘密の部屋』ですから、アメコミ映画が『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』と肩を並べるコンテンツになった瞬間でもあります。さらに『スパイダーマン』の大成功に験を担ぐように、5月の1週目の週末はアメコミ大作映画が封切られ、その年のサマーシーズン興行を牽引するという法則も生まれます。

 『スパイダーマン』がなぜこれほどの大ヒットになったのか? もちろん映画の出来栄え自体が素晴らしかったわけですが、少なからずその前年に911(アメリカ同時多発テロ)があったことも影響しています。実は最初の『スパイダーマン』の予告編には、911で崩壊したワールドトレードセンターを使ったシーンが収録されていました(テロの悲劇を受けて予告編はお蔵入り)。以来、911の影響を受けた映画として『スパイダーマン』は語られるようになります。やがて、それが911で傷ついたアメリカ人の心をいやすヒーロー映画としての期待へと変わっていきます。こうした社会性が『スパイダーマン』への注目を集めたのです。

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■日本でも受け入れられたアメコミヒーロー

名シーンの一つでもあるスパイダー・キス - Columbia Pictures / Photofest / ゲッティ イメージズ

 では、日本はどうだったのか? 正直言うと、当初はそんなに期待されていなかったと思います。『スパイダーマン』の日本公開は5月11日。当時映画会社が力を入れる作品はGWか夏休み興行であることが多い。ここを外しているわけですね。またこの年は日韓ワールドカップが開催されており、映画よりもサッカー熱に日本が包まれていた時です。そのような状況の中で封切られたわけですが、結果は日本でも大ヒット。GW後・夏休み前だったからこそライバルがいない。テレビがサッカー一色だったからこそ、映画館に娯楽を求める人が多かったわけです。

 またこの時期は日本でシネコンが普及しだした時期でもあります。身近な場所で手軽に映画が楽しめる、しかも家族みんなで楽しめるヒーロー映画。さらに、全米では3日間で1億ドル稼ぎ社会現象になっているというニュースも飛び込んでくる。こうした追い風や条件が重なって『スパイダーマン』は日本でも受け入れられたのです。

 さらに言えば、1978年に東映制作の特撮ドラマ「スパイダーマン」が放送されていたので、日本でもある程度の知名度はあったのです。1978年に当時6歳だった子供が東映版を観ていたとすれば、2002年には30歳を迎えており、自分の子供を連れていってもおかしくないですよね。また、スパイダーマンがフルマスクのヒーローという点もポイントが高かった。当時のポスターやチラシは、マスク姿のスパイダーマンを前面に押し出しインパクトがありました(ヒーロー物としてわかりやすかった)。アメコミヒーローというと、顔出しや半顔出しが多く“外人”なわけですが、フルマスクだと人種のことはあまり気にならない。ウルトラマンや仮面ライダー、スーパー戦隊に馴染みがある日本人にとって、スパイダーマンのルックスはヒーローとして受け入れやすいのです。

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■ヒーロー映画に共感性を取り入れたサム・ライミ監督の妙

『スパイダーマン』撮影現場でのサム・ライミ監督 - Columbia Pictures / Sony Pictures / ゲッティ イメージズ

 もちろん、こうした外的条件だけではなく、そもそも映画自体が素晴らしかったから『スパイダーマン』は大ヒットし名作となったのです。『スパイダーマン』が画期的だったのは、ヒーロー物に共感性を持ち込んだことだと思います。もともとスパイダーマンのコミック自体、青春ドラマであり主人公ピーターの悩める人生が読者のシンパシーを呼んだ、ということに成功の要因があるわけです。

 サム・ライミ監督も冒険ヒーロー物というよりは、スパイダーマンという運命を背負った若者の苦悩の物語として本作を描いています。象徴的なのは、ピーターの1人称ナレーションで映画が始まること。「これは(僕の好きな)ある女の子をめぐる物語なんだ」と。この時点で本作が青春物であり、私小説的な、個人のお話であると宣言しているわけですね。そして、彼が戦う敵も世界征服を狙う悪党ではなく、親友のお父さんが変異した怪人。極めて狭い世界での出来事であることがわかります。こういう等身大のドラマだったからこそ、ピーターに自分を重ね合わせることができたのでしょう。

 その一方で、進化したVFXがスパイダーマンならではのアクションを見事に実写化しました。考えてみれば、ただ空を飛ぶだけよりも、ビルの間をスイングして空を駆ける描写の方が難しい。「スパイダーマン」映画化の話は過去何度かありましたが、ようやく彼のスーパーパワーを完璧に表現できるほど、映像技術が発達したのですね。コスチュームを着ていない時の主人公をいかに共感できる人物として描くか、そしてコスチュームを着ている時の主人公をいかにかっこいいヒーローとして描くか。このバランスが絶妙だったのが『スパイダーマン』だったのです。

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■MCUにも影響を与えた元祖ヒーロー映画

『ドクター・ストレンジ』続編のプレミアに出席したケヴィン・ファイギ&サム・ライミ監督(中央二人) Alberto E. Rodriguez / Getty Images for Disney

 この『スパイダーマン』のアプローチは、後のヒーロー映画作りにも大きな影響を与えました。マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のプロデューサーであるケヴィン・ファイギに以前インタビューした時、ファイギは「ヒーロー映画のコツはコスチュームを着ていない時の主人公の描写にかかっている」と言っていましたが、まさにこれは『スパイダーマン』が証明したことでしょう。

 ライミ監督の力量もさることながら、『スパイダーマン』の成功の要因にはピーターを演じたトビー・マグワイアの好演もあります。トビーはこの『スパイダーマン』以外アクション映画等に出ていません。もっともヒーロー映画に遠い俳優がヒーローを演じた、このキャスティングの妙も本作の魅力です。

 『スパイダーマン』公開から20年。まさか『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』でトビー版スパイダーマンと再会できると思わなかったし、ライミ監督の映像マジックを『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』でまた楽しめると思わなかった。2002年の『スパイダーマン』公開に胸躍らせたファンにとって、奇跡のような1年となりました。

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杉山すぴ豊(すぎやま すぴ ゆたか)プロフィール

アメキャラ系ライターの肩書でアメコミ映画についての情報をさまざまなメディア、劇場パンフレット、東京コミコン等のイベントで発信。現在「スクリーン」「ヤングアニマル嵐」でアメコミ映画の連載あり。サンディエゴ・コミコンも毎年参加している。来日したエマ・ストーンに「あなた(日本の)スパイダーマンね」と言われたことが自慢。

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